久しぶりに寄った中華料理屋で、老酒の甕を持っていかないかと、おかみさんが言う。高さ約40センチで中身は空だが、肉厚で結構重い。なだ らかな肩のあたりの縦じま模様には手作り感があって、花入れにもなりそうだ。ぶらさげて、そばの神社のこっとう骨董市へ赴いた。
雑多な物を並べた数十の青空店舗を巡る。やはり重いので、鳥居のそばに置いて一休みしていると、人が値踏みする風に寄ってきた。売り物でな いと、すぐに分かって立ち去る。
確かに、その辺りに並んでいる物品と似てなくもない。中には、この甕と同郷の物もあるだろうと思い、さらには、あのバグダッドの博物館から消え た品々の行方を思った。
イラクに隣り合うトルコの、ある博物館長の言葉が耳に残っている。「石は、その場所にあってこそ、重いのだ」。過去、西欧の国々に持ち去られた 文物について尋ねた時の答えで、土地の格言だという。物は本来の場所にあってこそ輝くのだから、勝手に動かした物は元に戻せというわけだ。
米欧の有名な美術館、博物館は、昨年の暮れ、収蔵品を返さないと宣言した。「我々は一国の市民だけでなく、世界中の人々に奉仕している」と いうが、すんなり通る話ではない。自分たちの保有の仕方が一番だと言い張るとすれば「民主化」してやるのだから文句を言うなという口ぶりも通
ずる。 地下鉄で運んできた甕に、ショウブの束を投げ入れた。すうっと伸びた幾筋かの緑が、黒光りする甕に良く映える。元の場所から移す手続きが真っ
当なら、石は、重さを失わない。
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